「勉強」の必要性

「勉強しなさい」皆様も学生時代、両親や先生などから一度は注意された経験はあると思われます。「勉強」、皆様何を連想させますか。大概の方は「嫌なもの」「苦手なもの」「受験」などなど、どちらかというと学生時代にやる事でどちらかというと苦いものを連想されるかもしれません。「勉強」の語源は「勉め強いる」から来たもので、嫌なもの、気が進まないものを仕方なく進めていく事が語源です。
「勉強」という言葉を考えてみましょう。「勉強」の「勉」を見てみますと「免」と「力」を組み合わせた構成されております。元々は農耕に励む意味であり、「免」は子供を産む「分娩」を意味するもので、「力」は農具の鋤となります。子供を産む姿勢と農作業の姿勢が非常に似通っているため、農作業に励むことから「勉」という言葉が生まれました。農作業は辛さを伴う苦行であり、この作業に励み乗り越えることで後々の生活が楽に豊かになることです。
大昔の話ですが、現代社会でも通じることでないでしょうか。苦行を伴う作業も乗り越えることで、知識や教養、道徳心が高まり力強く生きていけることでないでしょうか。仏教の世界にある「修行」も似通っており、厳しく辛い鍛錬に耐えることで「悟り」を開くこととなります。何かやりたい、目指したい、事があれば「勉強なし」で語ることはできません。また「勉強」は自発的に考える習慣も体得できます。目先の「楽」よりも、長期的に見てどうなのか、考えるのが重要なのではないでしょうか。「勉強」は長期的な利益を約束するためにおいても必要不可欠な事でしょう。